ロシア人はウォッカのためなら、何でもできる。できないことはただ一つ
どうも、浅井です。
先日、飲み過ぎてしまいまして。
いやあ、ホントにきつかった。
飲んでるときはいいんですよね。気分よくて。
これが帰るころになると途端に酔いが回ってくる。
寝ていたのか、ところどころ記憶が飛んでしまっていて、帰りの電車で乗り換えに失敗。
なんとか戻って自宅近くの駅までは辿りついたんです。
そして歩き出したんですが、家まで数十メートルのところで限界に達し、座り込んでしまいました。
凍えるような寒空の下、なぜか「ロシアでは、こうやって眠り込んで死ぬ人がいっぱいいるんだろうなあ」と考えたりして。
「ロシア人はウォッカのためなら、何でもできる。できないことはただ一つ、そのウォッカを飲まないことだ」。こんなジョークを思い出したりして。
「自宅から数十メートルのところで凍死した中年男性の遺体発見」というニュースが流れる様子を思い浮かべたら「これはいかん」と思いましたね。
最後の気力を振り絞って再び歩き始めました。
浅井にとって自宅に到着したのはプロジェクトX並みの快挙だったんですが、家族はただの酔いどれおやじが帰ってきたという反応でした。
そりゃそうだ。
当然、翌日はぐったりです。
ところで、二日酔いは宿酔いとも書きますよね。
両方とも同じ意味ですが、「宿酔い」の方がなんとなく文学的で情緒があって好きです。
いや、宿酔いそのものが好きなわけじゃないですよ。
最後の無頼派作家と言われる伊集院静さんは「大人の男の遊び方」の中で、その二日酔いについてこう書いています。
「二日酔いだが、これはどうしようもないが、飲んでしまったのだからしょうがない」
なるほど。
では、どうしたらいいんでしょう。
「なぜ?こんなに飲んでしまったのだろうか、と反省しないことだ。私も四十年くらい反省し続けてきたが、反省はギャンブルと同じで意味がない」
はい、分かりました、先生!
反省しません!
明日も飲み会が待っている。
では、また!
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