会社をやめたらどうせすぐに忘れられる
どうも、浅井です。
以前、ちょっと小生意気な後輩が会社にいたんですよ。
先輩や上司に対しても容赦なくズケズケと指摘して、遠慮しない。
仕事ぶりは冷静でいて、でも情熱はあって、そして群れない。
仕事に妥協せず、独特の視点を持っていて周囲の評価は高かった。
みんな、それなりに一目置いていたんです。
浅井も正直、苦手ではあったんですが、嫌いじゃなかった。
なぜなら、どこか自分に似ている部分があったから。
以前なら、そういう会社員にも居場所がありました。
誰にも真似できない個性があり、それでいて仕事をちゃんとこなしてさえいれば、成果を認めて評価する人は多かったんです。
でも、経営が悪化して保守化すると、こうした自由な雰囲気は失われていくんですね。
いまの世の中全体がそうかもしれません。
つまらない狭量なゴマすり人間が管理職に増え、無駄な規制と会議ばかりが増える。
個性的な人材はどんどん辞めていきます。
その後輩も手足を縛られた形になり、やがて上司とトラブルになって去っていきました。
そんな個性の持ち主だったから、辞めた当初は、職場や飲み会ではたびたび彼の話題が出たんですよ。
笑い話にする人もいれば、会社のあり方を批判する人もいた。
でもね。
半年もたつと、もう誰ひとり彼のことを話題にする人なんかいません。
日々、新しい業務が出てくるし、人も入れ替わる。
彼は中堅どころで10年以上勤めていたんですが、そんな存在でも、あっという間に記憶の彼方に追いやられてしまうんです。
それは部長であっても、社長であっても同じ。
自分の部署にいる上司のことはどうしても存在を大きく受け止めてしまいがちだけど、いなくなったら誰も気にしなくなります。
社長にしても、もう2代前の社長のことを話す人なんかいないでしょ。
街中ですれ違っても分からないかもしれません。
だから我々一般のサラリーマンなら、なおさらです。
何十年間、会社に情熱と時間を注いだとしても、会社という組織はあなたを覚えてはいないのです。
浅井の遠い親戚に、大企業の副社長を務めた人がいました。
その人は退職すると、きっぱりと会社との縁を断ったんですね。
余生は趣味の寺社巡りや英語の勉強をして過ごし、亡くなった時も本人の強い希望でひっそりと家族葬が営まれました。
会社勤めのころに深く交流した人たちは、政財界の要人も含めてきっとたくさんいたはずです。
でも、そうした付き合いの虚しさを、その人は誰よりも分かっていたのかもしれません。
人生で本当に大事なものは何なのか。
会社じゃないことだけは確かですね。
さっさとセミリタイアして、やりたいことやらなきゃ。
では、また!